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,r'´;;;;;;;;;;;ー- 、 /;;_;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`ヽ ,';;;|L\;;/ヾヽ;;;/l;;;;;} {;,r{L yY\ 9゙゙,p''7;;;;l '{l {B ハ\个rノ,r‐'´フ7 __人__ ハ_ ='仆ー'、{ノ フミノ. `Y´ _,,ノ/_/`ヾ_,r'´ノヾミミ/ _ ,r=‐'´ 、 ヘ .ヽヲ イ Lヽ rr'´ヘj / `ヽ_ `t'´ ヘr'― .l ./ ,=-‐  ̄`'ー、__ (ー'´ | ., ' __,,/_ `ヽ 冫i、 } , ' /;;'' \ o Yヽ / / , ' 人' / t`ーfー- o} \ _/ . / ノ { ./ ヘ l 亡 ソ ,,, i゙ .ヽ ,r' ´ /. Yノ K ヘl l` '''''' ', __∨ ./ | ', ゙i `ヽ l \ ´ ./. | / ハ ', .l `ヽ /. | Y ゙i '; l ヽ_/. | .| /__,,,,,, '; j | | //;;;;;;;;;;;;;,,, ';, // ─────────────────────────────────────── Q.勇者は多いけど、何人いるのだろう A.決めてませんが、大体10人くらい Q.それぞれの文化レベルとか文明レベルとか気になるわ A.後述します Q.魔族側から見る人間大陸で暴れてる魔族について A.基本的にどうでもいと考えています 人間大陸で暴れてる魔族はほとんどが人間に危害を加えるために 人間大陸に行く奴ばかりか、何かしら魔大陸にいられなくなった脛に傷あるタイプなので 例外で魔王侵攻で取り残された奴もいる Q.戦争で死ぬ場合は20~40くらいであろうこと考えるとかなり平和な感じ? A.20年前のランス侵攻以降は魔族間の大規模な戦争はない 人間世界も10年前にギルが統一されてからは大規模な戦争もなくなった Q.魔王決定には、勝敗の結果以外に決定要素の裏技はあるのかとか A.実はある………が、ネタバレ防止の為に内容は秘密♥ 魔王決定などのルールを定めた、上位存在とか創造神とかそういうのがいるのなら、どんな性格なのかとか 魔王の器は世界崩壊後に??達の頼みにより????が作りました 今は一握りの者しか知りませんが、どえらい機能が付いてます とある機能を使うと人間もやばい。魔族もある意味やばいそんな機能が搭載されてます Q.人間の平均寿命は大分短いんじゃね? A.場所によるが大体60から70くらいで死ぬ Q.人間を殺害する以外では糧を得られない魔物はどのくらいいるのか 人間から糧を得る必要のある魔物の比率 A.ほとんどいない、100分の1程度 Q.魔大陸囲まれてるwwwwオワタwwwwww これだと実は我様の大陸以外の連中も渡って来たりするのか A.魔大陸には我様の大陸以外の連中も来ます しかし岩礁が都合良く大型船を阻む上に武装、人数、魔力が一定数を超えると クラーケンやリヴァイアサンなどの大型モンスターが現れて行く手を阻みます さらに魔王在任中は瘴気が常人を蝕むために一定レベル以下のの者が長くいられない その為、今のところはオワタ状態ではならない Q.過去に人間と安定した交易をとった魔王っている? A.小国と細々とならある Q.我様はあくまで東の大陸の統一に成功したのでしょうか? A.我様は全大陸を15年で統一しました Q.混血による能力の変化について A.種族間の相性と運次第。 ハイブリットな存在になったり片方だけだったり 能力もうまく噛み合えば両親以上の強さになるし 駄目だと何か微妙になる Q.たった1週間で魔大陸にロック達は到着してたけど、人間大陸から魔大陸の距離はどんなもん? A.若干の違いはあるけど、大体は船で一週間か2週間程度 例を挙げるとラ・ピュセルは一週間くらい、やらない夫は十日くらいで来た ただアサギが例外でサーフボード的な乗り物に乗って半日で来た
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月曜 1 語法文法研究S(花野) 2 数学ZB PART1(山本) 3 物理H PART1(植田) 4 物理H PART1(植田) 5 現代文読解研究(池上) 6 数学XB §4(谷口) 7 センター古文(山口) 8 数学M1(落合) 9 センター政経(内田)(51号) 10 センター政経(内田)(51号) 火曜 1 長文英文構成演習(藤原) 2 漢文V(小川) 3 英語構文S(下川) 4 数学ZB PART3(小田) 5 生物S PART2(平賀) 6 生物S PART2(平賀)/パワーUP医系物理(宮内)(22号) 7 センター日本史(野田)(43号)/センター世界史(徳永)(42号) 8 センター日本史(野田)(43号)/センター世界史(徳永)(42号) 水曜 1 物理H PART2(中田正) 2 物理H PART2(中田正) 3 センター現代文(松本) 4 数学XB §1(小笹) 5 生物S PART1(大森) 6 生物S PART1(大森) 7 和文英訳S(伊藤) 8 パワーUP医系化学(蒲谷) 木曜 1 LHR(河村) 2 数学ZB PART2(小板橋) 3 英文読解SD(桜井) 4 英語研究M(清水) 5 化学S PART1(山下) 6 化学S PART1(山下) 7 数学XB §3(中井) 8 数学M4(吉川) 9 倫理(栗栖)(31号) 10 倫理(栗栖)(31号) 金曜 1 古文Ⅰα(加納) 2 センター英語演習(霜) 3 化学S PART2(嶋田) 4 化学S PART2(嶋田) 5 数学XB §2(阿部) 6 パワーUP医系生物(平賀) 7 地理(系統・地誌)(高崎) 8 地理(系統・地誌)(高崎)
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[部分編集] 身上書 名前:アイリス・赤霧 学年: 1年 A組 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 担任:武田 綾子先生 出席番号: 21番 生年月日1993年12月25日 特徴:外国の血筋が入っているせいか多少体格が良い感じである 性格:生真面目な性格であり誠実でない人は嫌いである 生命:5 精神 3 特殊能力 霊感(3) ヤマ感(6) 第六感(6) [部分編集] 成績 国語 (3) 話術(2) 語訳(3) 古文(-) 文学(-) 解釈(-) 斜め読み(-) 漢文(-) 俳句(3) 数学 (5) 論理的説得(6) 暗算(2) 測量(-) 図形(-) コンピュータ(5) 確立(5) 機械操作(4) 理科 (4) 医学(-) 科学(3) 物理学(5) 指紋分析(-) 地質学(3) 薬学(-) 動物学(-) 天文学(2) 社会 (6) 日本史(3) 世界史(6) 現代史(3) 考古学(6) 地理(2) 法律(-) 暗記(2) 民話(-) 体育 (5) マラソン(3) 短距離走(2) ジャンプ(4) 応急手当(-) 投てき(-) 重量上げ(-) 格闘(6) 平衡感覚(4) 放課後 (2) 占い(2) 読書(-) 一般常識(-) 尾行(-) ゲーム(3) 買い物(-) 探し物(-) 隠れる(-) 課外活動 【部活動】 (フェンシング)部所属 【委員会】 (風紀)委員 名前 効果(ダメージ) エペ 1d6(固定ダメージ) 持ち物: メモ: 英国から来た交換留学生、私立赤霧学園の理事長である赤霧氏の従兄弟という事もあり理事長のつてで日本に来る事になった。 日本の文化が好きだが、まだ変な日本の観念がある
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【目次】 basic infomation 試験方式 basic infomation 正式名称を『大学入学者選抜大学入試センター試験』といい、独立行政法人大学入試センターによって毎年1月中旬の土曜日・日曜日の二日間にわたって行われる。 1979年より国立大学の入試にあたり共通第一次学力試験が、1989年までの10年間実施されていたが、1990年よりセンター試験に改名された。 試験方式 全教科全問マーク方式で行われ、各科目の高等学校学習指導要領を基準に作成される。 従って、基本的に教科書の範囲から出題であり、平均点も6割と高い数字となっている。 稀ではあるが、教科書の隅に載っているような細かいことや、本当に学習指導要領に含まれているのが疑問符を投げかけるような微妙な難問があるので油断は禁物である。 出題科目は2006年現在、全6教科33科目で志望する大学または学科が指定している科目を受験する。なお、指定していない科目の得点は本人が取得した得点には加算されないので注意が必要である。 全6科目33教科は下を参照 国語 試験時間80分 200点満点(現代文100点、古典50点、漢文50点)国語 数学:試験時間各60分 各100点満点数学Ⅰ 数学Ⅰ・A 数学Ⅱ 数学Ⅱ・B 外国語:試験時間80分 各200点満点英語 フランス語 ドイツ語 韓国語 中国語 理科:試験時間各60分 各100点満点物理 地学 生物 理科総合A 理科総合B 地理歴史:試験時間各60分 各100点満点地理A 地理B 日本史A 日本史B 世界史A 世界史B 公民:試験時間各60分 各100点満点現代社会 倫理 政治経済 学習指導要領は以下の文部科学省ホームページを参照 高等学校学習指導要領(15年12月一部改正) 高等学校学習指導要領新旧対照表
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授業評価 わかりやすさ C おもしろさ C 授業スピード B 怒りっぽさ C 雑談 1コマあたり1分 積分定数に厳しい、必要十分条件にも厳しい 山口校に幽閉されている ↑実際には幽閉されているわけではなく、ホテル代の手当で山口に部屋を借りており、財テクしているので本人の希望もある。最近は本部に気に入られたのか小倉に出社するようになり、常時涙目。 内田先生と仲が良い。よく飲みに行っている。 出川哲朗にそっくり。 イルカとキャッチボールをしたことがあるらしい。 ニコチン大好き。毎授業後に吸わないとストレスが生徒に向くらしいので、吸わせてあげてください。咳がひどい ニコチン仲間多数。(向江先生,平山(誠)先生や藤川先生など) 添削プリント『実力(じつりき)問題』を毎授業で出してくれて、提出すると一人一人丁寧に添削してくれる。 現代技術に疎い。紙派。スマホは一応使いこなしている。 生徒みんなと仲が良く、コミュ力がすごい。が、いじりがきつめ。 質問受けはいつでも快く対応してくれる。私の友達はよくキノピーにいじられていた。 山口FELIXで、お世話なっていました。 数学(木下)、生物(寺西)、化学(おはぎ)の先生方で理系科目は、クセの強い頼りになる先生方でした。 ここに気づかんばが役にたつ 口癖は〜ってさって さる人相見の先生(漢文)からは 「木下と●●はどんどん人相が悪くなっています。金に意地汚いからだ」と言われるも、数学苦手な生徒からの信頼は絶大で毎日質問受けに追われている。(●●は現代文の女の先生?) (日本を愛し立派) 出講表 2023年度 月曜日 山口校 Ferix山口校 火曜日 山口校 Ferix山口校 水曜日 山口校 Ferix山口校 木曜日 金曜日
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特色 [編集] 中国の影響が強かった奈良時代の文化(唐風)に対して、これを国風(和風・倭風)文化と呼んでいる。現在まで続く日本の文化の中にも、この流れを汲むものが多い[1]。 遣唐使の停止 [編集] 以前は寛平6年(894年)の遣唐使停止により中国の直接的影響を抜け出し、日本独自の文化が発展したと一般的に解釈されてきた。しかし、遣唐使廃止後も対外交流は盛んで中国の文物は多く日本に流入していた。そのため、遣唐使停止を国風文化の画期とすることは誤りである。そもそも、唐風の文化を踏まえながらも日本の風土や生活感情である「国風(くにぶり)」を重視する傾向は奈良時代から進行していた。すなわち、遣唐使停止は日本文化の国風化を加速させる要因であったとみることが適当である。 浄土教の流行 [編集] 末法思想を背景に浄土教(浄土信仰)が流行した。9世紀前半に円仁が中国五台山の念仏三昧法を比叡山に伝えており、源信が『往生要集』を著して天台浄土教を大成した。また空也は庶民に対しても浄土教を広め、市の聖と呼ばれた。浄土信仰は京の貴族に深く浸透し、国風文化の仏教建築、仏像、絵画などにその影響を残した。 女房文学の発達 [編集] 藤原氏(藤原北家)による摂関政治は、外戚政策(天皇家に子女を入内させ、その子を天皇として外祖父となり権力を握ること)に立脚するものだった。藤原氏は子女を入内させると天皇の歓心を得るために有能な女性を選抜し、女房として近侍させた。女房は受領階級などの中級貴族の子女が多く、中級貴族たちは藤原氏に取り入るべく子女の教育に努力を惜しまなかった。そのため、清少納言や紫式部など多くの女流作家が生まれることとなった。 かな文字の使用 [編集] 奈良時代から日本語を表記するため漢字の音訓を借りた万葉仮名が使われていたが、この時代になって仮名文字(ひらがな、カタカナ)が広く使われるようになった。カタカナは漢字の一部に由来し(例:伊→イ)、漢文を訓読する際の補助文字として使われた。また、ひらがなは漢字の草書体を元にしたもので(安→あ)主に女性が用い始めた。紀貫之が書いた『古今和歌集』の「仮名序」は、漢文の用法を遺しながらも平仮名で書かれた和文として初期のものである。(ひらがなを参照) 文学 [編集] 詩歌 [編集] * 古今和歌集:延喜5年(905年)に醍醐天皇が紀貫之、紀友則、凡河内躬恒、壬生忠岑等に編纂を命じて出来た最初の勅撰和歌集。 * 和漢朗詠集:寛仁2年(1018年)頃に藤原公任が編集した漢詩集。 物語 [編集] * 竹取物語:現存する最古の仮名の物語。 * 伊勢物語:在原業平を主人公にしたといわれている歌物語。 * 宇津保物語:遣唐副使・清原俊蔭とその子孫を主人公とした物語。 * 落窪物語:継子いじめに苦しむ姫が貴公子と結婚して幸せになるまでを描いた物語。 * 源氏物語:王朝物語の最高傑作。 日記・随筆 [編集] * 土佐日記:紀貫之が土佐守の任務を終えて帰る旅の途中のことを女性を装って平仮名で書いている。 * 蜻蛉日記:藤原道綱母が夫藤原兼家との生活の不満を綴った日記。 * 和泉式部日記:和泉式部が自らの恋愛について綴った日記。 * 紫式部日記:紫式部が宮中に仕えている時の事を綴った日記。 * 枕草子:清少納言の随筆。鴨長明の『方丈記』、吉田兼好の『徒然草』と並んで日本三大随筆と称される。 * 更級日記:菅原孝標女が自分の人生を自伝的に綴った回想録。 * 小右記:藤原実資の日記。(漢文) * 御堂関白記:藤原道長の日記。 その他 [編集] * 倭名類聚抄:源順が編纂した日本最初の百科事典。 * 六歌仙:在原業平 小野小町 僧正遍昭 喜撰法師 文屋康秀 大友黒主を総称して六歌仙と言う。 服装 [編集] 湿度の高い気候に適応するため、袖口が広くなるなど風通しの良いゆったりとしたシルエットになった。 男性用 * 衣冠 * 束帯 * 直衣 * 狩衣 女性用 * 十二単 * 細長 楽器 [編集] * 和琴 宗教 [編集] * 御霊信仰 * 陰陽道 * 本地垂迹説 建築 [編集] 平等院鳳凰堂 醍醐寺五重塔 貴族住宅が寝殿造の様式で建てられた。平等院にはその影響が見られる。 仏教建築としては浄土教の影響を受けた阿弥陀堂が多く建立された。 * 法成寺無量寿院:寛仁4年(1020年)に藤原道長が建立。現存せず。 * 平等院鳳凰堂:天喜元年(1053年)に藤原頼通が建立。 * 法界寺阿弥陀堂:永承5年(1050年)頃、日野資業が自分の別荘を寺にしたもの。承久の乱で焼失し、再建。 阿弥陀堂以外の建築としては天暦5年(951年)建立の醍醐寺五重塔が知られる。 彫刻 [編集] 阿弥陀如来像を大量生産するため、分けて造った部品を組み立てる寄木造の技法が用いられた。この技法を完成させたとされるのが定朝である。彫りが浅く平行して流れる衣文、丸い顔に細い目の穏やかで瞑想的な表情が特徴で、こうした仏像を定朝様式と呼ぶ。 * 平等院鳳凰堂阿弥陀如来像:定朝作で唯一現存する作品。 * 法界寺阿弥陀如来像 * 平等院鳳凰堂雲中供養菩薩像 絵画 [編集] 平等院壁画 大和絵と呼ばれる日本的な絵画が発達し、仏教絵画、月次絵や四季絵と呼ばれた景物を描いた障屏画(山水屏風など)や壁画(平等院鳳凰堂扉絵など)が描かれたが仏教絵画を除いて少数しか現存していない。また、多くの物語絵(冊子または絵巻物)が制作されたことが推測されているが、11世紀末以前に制作された作品は現存していない。 仏教絵画では来迎図がよく描かれた。 * 高野山 涅槃図(ACE1086) * 高野山 聖衆来迎図 * 東寺 十二天(ACE1127) * 東京国立博物館 普賢菩薩像 * 平等院鳳凰堂扉絵(ACE1053年前後) * 京都国立博物館 山水屏風 * 源氏物語絵巻(平家時代または院政期) * 信貴山縁起(院政期) * 伴大納言絵巻(院政期) * 鳥獣人物戯画甲乙巻(院政期)[2] 書道 [編集] 小野道風・藤原佐理・藤原行成が三蹟と呼ばれた。11世紀にはかな書道の古典とされる高野切が制作され、12世紀まで多様なかなの書風が展開した。 工芸 [編集] 刀剣 [編集] 日本刀の様式(鎬造・湾刀)の確立期である。 * 三条宗近(三日月宗近) * 小烏丸(天国) * 備前国友成 * 童子切安綱(安綱) 蒔絵 [編集] 奈良時代に日本で考案された蒔絵の技法が大きく発展した。 参照 [編集] 1. ^ 後世から、「日本文化」の「有職故実」の「正統な源流」とされる。実際、古代の「聖徳太子」・「大化の改新」・「壬申の乱」を描いた絵巻物では、「太子」や「蘇我入鹿」らの装いは平安時代の正装である「衣冠束帯」であり、大鎧を着、太刀を揮って中世さながらの合戦をしている。古代の実像が明らかとなったのは、永く続いた中世(「乱世」)が落ち着いた近世・江戸時代の中期で古文辞学(古学)・歌学・国学・陵墓研究が盛んになった時代以降のことである。 2. ^ 鳥獣人物戯画は4巻のうち2巻が鎌倉時代の作とされる。 関連項目 [編集] * 平安時代 * 日本の文化 * 日本の中古文学史 * 王朝国家・摂関政治 * 菅原道真 * 延喜・天暦の治 参照:ウィキペディア「国風文化」より http //ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%A2%A8%E6%96%87%E5%8C%96 古布専門店 はてな 東京都立川市高松町3-30-24 古布 / 吊るし雛
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前段に於いて私は、ロ語體の文章が最も今日の時勢に適してゐると申しましたが、それなら文章體の文章は全然參考にならないかと云ふのに、決してさうではありません。口語體も文章體も、等しくわれ/\の話す日本語から發達したものでありますから、根本に於いては同じであり、精神に於いても同じであります。と云ふ意味は、ロ語體を上手に書くコツは、文章體を上手に書くコツと、變りはない。文章體の精神を無視したロ語體は、決して名文とは云はれない。ですから、われ/\は是非共文章體の文章を研究する必要があるのであります。 古典文學の文章は、すべて所謂文章體で書いてありますが、大體に於いて和文調と漢文調とに分けることが出來る。和文調と云ふのは、實は往古の口語體のことでありまして、土佐日記や源氏物語のやうな文體、あれはその當時に於いては口でしやべつた通りに書いたものであつた、即ちあの頃の言文一致體であつた、然るにその後口語の方が次第に變化して宋たので、あゝ云ふ云ひ方が一種の文章體として、文字の上だけに殘つた譯であります。漢文調と云ふのは、保元物語や平治物語等の軍記物から用ひられ始めた文體で、在來の和文に漢語を交へ、又漢文を日本流に讀み下す時の特別な言ひ廻しを交へたものでありまして、所謂和漢混交文のことであります。此の二つの文體のうち、和文調は最早全く廢れてしまつた。明治時代までは擬古文と稱して作文の時間に時々稽占をしたものですが、何分應用の方面がないので、今日ではそんな稽古をする者もゐなくなつた。それに比べると漢文調の方は、まだ幾分か使はれてをります。畏れ多い例でありますが、皆さんが御存じの教育勅語、あれは立派な和漢混交文のお手本と申してよい。その他折に觸れて下される詔勅の御文體は總べて見事な漢文調でありまして、民間に於いても、祝辭や式辭や弔辭等の儀式張つた文章は、漢文調の文章で書く。尤もこれとても以前に比べればずつと少くなりつゝある、近頃は告別式に列席しましても口語體の弔辭を聽くことが珍しくないのでありますから、追ひ/\漢文調も廢れてしまふことは明かであります。 私はさつき、現代の世相は複雜であるから到底昔の文章體の粗つぼい云ひ廻しでは用が足せない、現代人に「分らせる」やうにするには、是非とも口語體でなければならないと申しました。又現今の口語體に於いては、昔のやうに字面《じづら》や音調の美しさを氣にしてはゐられない、「分らせる」やうに、「理解させる」やうに書くことが精一杯であると申しました。いかにも、一應はその通りでありますが、こゝで皆さんの御注意を喚起したいのは、「分らせる」ことにも限度があると云ふ一事であります。 既に私は此の讀本の最初の段で、言語は決して萬能なものでないこと、その働きは思ひの外不自由であり、時には有害なものであることを斷つて置きましたが、現代の人は動《やゝ》ともすると此の事を忘れがちであります、そして、口語體の文章ならどんなことでも「分らせる」やうに書ける、と云ふ風に考へ易いのでありますが、さう考へたら大變な間違ひであることを、常に皆さんは念頭に置いて頂きたい。明治の末期から口語體と云ふ便利な文體が創められ、用語や文字の末に囚はれず、何でも口でしやべる通りに書けばよいことになつたので、いかなる微妙な事柄でも語彙を豐富に使ひさへすれば表現出來ないことはないと云ふ謬想が先入主になり、近頃の人々は無闇に多くの言葉を使ふ。されば明治になつてから言葉の數が殖えたことは非常なものでありまして、皆の人の思ひも及ばないさま/゛\な名詞や形容詞が出来、又外國語を飜譯したいろ/\な學術語や技術語が生れ、尚今日も續々と新語が造られつゝあります。で、人々は爭つてそれらの澤山な語彙を驅使し、何事を述べても微に入り細を穿たうとしますので、自然文章が冗長になり、文章體なら一行か二行で濟ますところを五行にも六行にも書く。しかしそんなに言葉數を費したら分らないことでも分らせることが出來るかと云ふのに、決してさう云ふものではありません。書く當人は痒い所へ手が屆くやうに云ひ廻し、剩さず述べ盡した積りでも、讀む方に取つてはくどいばかりで、何を云つてゐるのやら分らない場合がしば/\ある。實にロ語體の大いなる缺點は、表現法の自由に釣られて長たらしくなり、放漫に陷り易いことでありまして、徒らに言葉を積み重ねるために却つて意味が酌み取りにくゝなりつゝある。故に當今の急務は、此の口語體の放漫を引き締め、出來るだけ單純化することにあるのでありますが、それは結局古典文の精神に復《かへ》れと云ふことに外ならないのであります。 文章のコツ、即ち人に「分らせる」やうに書く秘訣は、言葉や文字で表現出來ることゝ出來ないことゝの限界を知り、その限界内に止まることが第一でありまして、古の名文家と云はれる人は皆その心得を持つてゐました。それと云ふのが、昔は言葉數が少い上にも前例や出典をやかましく云ひ、使ふ場所に制限がありましたので、一つの景を叙し、又は心事を述べるに方つて、さういろ/\な云ひ方がある譯ではなかつた。散る花を惜しみ、隈なき月の影を賞で、人の世の無常を恨むにも、時に依り人に依つてその心持に多少の違ひがあつたでありませうが、言葉の方は大體きまりきつてゐたので、その達ひに應ずるだけの種類がない。ですから古典の文章を見ますと、同じ言葉が幾度も繰り返されて使つてありますが、自然の必要から、それらの言葉が場合々々で或る獨特なひろがりを持ち、一つ/\に月の暈《かさ》のやうな蔭が出來、裏が出來てゐます。 足柄山といふは、四五日かねておそろしげにくらがりわたれり。やうやう入り立つ麓のほどだに、そらのけしき、はかばかしくも見えず。えもいはず茂りわたりて、いとおそろうしげなり。麓にやどりたるに、月もなく暗き夜の、闇にまどふやうなるに、女|三人《みたり》、いつくよりともなくいで來たり。五十ばかりなる一人、二十ばかりなる、十四五なるとあり。庵の前に傘《からかさ》をささせてすゑたり。男ども火をともして見れば、昔こはたといひけむが孫といふ。髮いと長く、額いとよくかかりて、色白くきたなげなくて、さてもありぬべき下仕《しもづかヘ》などにてもありぬべしなど、人々あはれがるに、聲すべて似るものなく、空にすみのぼりてめでたく歌をうたふ。人々いみじうあはれがりて、けちかくて、人々もて興ずるに、「西國《にしぐに》の女はえかからじ」などいふを聞きて、「なにはわたりにくらぶれば」とめでたく歌ひたり。見る日のいときたなげなきに、聲さへ似るものなく歌ひて、さばかり恐ろしげなる山中《やまなか》に立ちてゆくを、人々あかず思ひて皆泣くを、幼なきここちには、まして此のやどりをたたむ事さへあかずおぼゆ。 まだ曉より足柄をこゆ。まいて山の中のおそろしげなる事いはむかたなし。雲は足の下にふまる。山のなからばかりの、木の下の、わつかなるに、葵のたゞ三筋ばかりあるを、 世はなれてかかる山中にしも生ひけむよと、人々あはれがる。水はその山に三處ぞ流れたる。(更科日記) この文章は今から九百年も前のものでありまして、上總介菅原|孝標《たかすゑ》の娘が十三歳の時に父に從つて都へ上つたことを、それより四十年を遏ぎた後に思ひ出して書いてゐるのですが、此の中には同じ言葉が幾度も繰り返し使つてあります。足柄山はどんな山かと云ふと、「おそろしげにくらがりわたつた」山であると云ふ。さうして、「えもいはず茂りわたりて、いとおそろしげ」であるとか、「まいて山の中のおそろしげなる事いはむかたなし」とか、山を述べるのに「おそろしげ」と云ふ言葉より外知らないかのやうである。又「あはれがる」と云ふ言葉も三度出て來る。田舍の女が巧みに歌をうたふのを聽いても、深山の大木の下に葵が三筋あるのを見つけても、人々は「あはれがる」のである。女の顔は「色白くきたなげなくて」と云ひ、「見る目のいときたなげなきに」とも云つてゐる。その歌聲は「すべて似るものなく、空にすみのぼりて」と云ひ、「聲さへ似るものなく歌ひて」とも云ふ。その他、「めでたく」と云ふ副詞、「あかずおもふ」と云ふ動詞も二度出て來る。これを見ても昔はどんなに言葉の數が少かつたかと云ふことが分るのでありますが、しかしその割に作者の云はんと欲することは大體明瞭に現はされてゐます。たゞ「おそろしげ」と云つたゞけでも、物凄く樹木の茂つた山の姿が、想像されないものでもない。「あはれがる」と云ふ一語のうちにも、一人の女を取り卷いて打ち興ずる男どもの樣子が見え、彼等が放の憂さを忘れて歌を褒めたり器量を賞でたりする話聲が聞えるやうにも感ぜられる。かうして見ると、こんな素朴な書き方でも略〻用が足せるのでありまして、此の時分の人は、「めでたし」とか、「おもしろし」とか、「をかし」とか云ふ簡單な形容詞をいろいろな意味に使ひ分けた。尚又、「月もなく暗き夜の、闇にまどふやうなるに」のところ、「男ども火をともして見れば、昔こはたといひけむが孫といふ。髪いと長く」のところは、僅五六行の短文でありますが、思ひがけなく夜の街道にさまよひ出た藝人の女のあやしい美しさと、それを見た族人の輕い驚きとが、おぼろげながら浮かんで來る。「火をともして」とありますので、燈明であるか松明《たいまつ》であるか篝火であるか分りまもんけれども、「庵の前に傘をささせてすゑた」のでありますから、女どもは庭か往來の地上に坐し、それへ一行の下男どもが多分紙燭か松明をかざしたのでありませう。はためく火影にあか/\と照らし出された女どもの、此のあたりには珍しい身なりやみめかたち、その後につゞく漆のやうな夜の闇、眞黒な空に聳え立つ足柄山の山容などが、朦朧と眼に見えて來ます。「聲すべて似るものなく、空にすみのぼりて」と云ふ「すみのぼりて」の一句もよい。此の旅行は九月三日に下總の國を立ちましたので、秋の末頃でありますから、冷え/゛\とした、冴えた夜空に、すゞしい歌ごゑが透き徹るやうに響きわたつた、その感じがよく此の一句に現はれてゐます。「なにはわたりにくらぶれば」と、歌の文句の冐頭だけを記したのは、後を忘れたのかも知れませんが、かう云ふ書き方には此れも餘情があつてよい。言葉數を知らないからこんな風に書いたのでもありませうが、しかしやさしい、分り易い文字を使つたからと云つて、人に與へる感銘の深さは、必ずしも饒舌な口語文に劣らないのであります。 次に私は、古典の持つ字面や音調の美しさも、或る程度迄、──いや、時には大いに、──參考とすべきであると思ひます。これは前に申し上げたことゝ矛盾するやうでありますけれども、一歩進んで考へてみますと、口語文と雖、文章の音樂的効果と視覺的効果とを全然無視してよい筈はありません。なぜなら、人に「分らせる」ためには、文字の形とか音の調子とか云ふことも、與《あづか》つて力があるからであります。讀者自身は或はそれらの關係を意識しないで讀んでゐるかも知れません、しかしながら、眼や耳から來る感覺的な快さが、いかに理解を助けるものであるかと云ふことは、名文家は皆よく知つてゐるのであります。既に言葉と云ふものが不完全なものである以上、われ/\は讚者の眼と耳とに訴へるあらゆる要素を利用して、表現の不足を補つて差支へない、たとへば昔、印刷術が發達しない時分には、文字の巧拙、紙質、墨色等までも、内容の理解に多大の關係を及ぼしたことゝ思はれますが、これはまことに當然のことで、苟くも眼で見て理解するものであるからには、眼を通して來る總べての官能的要素が、讀者の心に何等かの印象をとゞめない筈はありません。さうして多くの場合、それらの要素が文章の内容と切つても切れないやうに結びついて、全く一つのものとなつて頭に殘ります。私はしばしば、幼年の頃におぼえた百人一首の和歌を思ひ出すことがありますが、思ひ出す時はいつも必ず骨牌《かるた》に書いてあつた文字の形が眼に浮かびます。當時は今のやうな標準かるたでなく、草書や變態假名を使つて能筆に書いてあつたのですが、「久方の」なら「久方の」と云ふ歌と一緒に、その骨牌《かるた》に書いてあつた字體が浮かんで來る。恐らく皆さんにもさう云ふ經驗がおありになるでありませうが、取り分け和歌の場合には、定家卿や行成卿の書いた美しい一枚の色紙、もしくは短册として、記憶されると云ふやうなことが多いと思ひます。今日の文章は、殆ど總べて活字に印刷されてを.りますが、しかし活字だからと云つて、さう云ふ關係がないことはありません。或る文章の内容が讀者の腦裡に刻み込まれる時は、それを刷つてある活字の字體と一緒に刻み込まれ、思ひ出される時も一緒に思ひ出されます。故に今日でも、文字の巧拙は問題でなくなりましたが、文字の組み方、即ち一段に組むか二段に組むかと云ふやうなこと、それから活字の種類と大きさ、ゴシツクにするか、ポイントを使ふか、四號にするか、五號にするかと云ふやうなこと、並びに文字の宛て方、或る一つの言葉を漢字で書くか、平假名で書くか、片假名で書くかと云ふやうなことは、その文章が表現しようとする理論や事買や感情を理解させる上に、少からぬ手助けとなつたり妨げとなつたりするのであります。 文章の第一の條件は「分らせる」やうに書くことでありますが、第二の條件は「長く記憶させる」やうに書くことでありまして、口でしやべる言葉との違ひは、主として後者にあるのでありますから、役目としては或は此の方が大切かも知れません。で、そこまで考へを進めて來ますと、文字の體裁、即ち字面《じづら》と云ふものが、一層重大な要素となつて來るのであります。今の百人一首の例でも分るやうに、私が屡〻それらの和歌を思ひ出すのは、大半はその美しい字體のためである。私はその字體を思ひ出しながら、その和歌を思ひ出し、それが書いてあつた骨牌の手觸《てざは》りを思ひ出し、それを弄んだ幼年時代の正月の晩を思ひ出して、云ひやうのない懐しさを覺える。西洋の文章でもかう云ふことは有り得るでありませうが、われ/\はわれ/\に獨特なる形象文字を使つてゐるのでありますから、それが讀者の眼に訴へる感覺を利用することは、たとひ活字の世の中になりましても、或る程度まで有効でありまして、將來國字がローマ字に改まるやうな日が來ない限り、われ/\にのみ許された折角の利器を捨てゝおくと云ふ法はありません。斯樣に申しますと、それは文章の邪道だと申される方があるかも知れませんが、しかし字面と云ふものは、善かれ悪しかれ必ず内容に影響する、我が國の如く形象文字と音標文字とを混用する場合に於いて殊に然りである。さうだとすれば、その影響をその文章が書かれた目的と合致させるやうに考慮するのが當然であります。 但し、誤解のないやうにお斷りしておきますが、こゝに「字面」と申しますのは、必ずしもむづかしい文字を使ふことではありません。近頃はよく、漢語をわざと片假名で書いて、たとへば「憤慨」を「フンガイ」と書いて、一種の効果を舉げることが流行りますが、あれなぞが、矢張私の云ふ字面を考慮することに當ります。それと云ふのが、西洋では一定の言葉を綴るのには一定の文字しかない。たとへば「デスク」と云ふ語はdeskとしか書きやうがない。支那でもさうでありませうが、われ/\の國では、「机」、「つくゑ」、「ツクヱ」と、三通りに書けます。されば、ありふれた漢語を故意に假名で書いて讀者の注意を促し、記憶に資すると云ふ手段が、そこに成り立つ譯であります。それから、「眼に快い文字」と云ふのも決して漢字に限つたことはありません。漢字は一字々々を見ると美感が備はつてゐますけれども、文字と文字とのつながり工合が美しくない。假名の中へ交ぜて使ふと、ゴツゴツして汚く見えることがありますが、我が國の平假名は文字そのものに優しみがある上に、つながり工合が實に美しい、それに、漢字は字劃が複雜なため、今日のやうな小型の活字になつては固有の魅力が大半失はれてしまひましたが、平假名は字劃が簡單でありますから、今もなほ魅力を失ひません。字面を快くすると云ふのは、かう云ふことを總べて考慮に加へて書く、と云ふ意味であります。 しかしながら、現代の口語文に最も缺けてゐるものは、眼よりも耳に訴へる効果、即ち音調の美であります。今日の人は「讀む」と云へば普通「默讀する」意味に解し、又實際に聲を出して讀む習慣がすたれかけて來ましたので、自然文章の音樂的要素が閑却されるやうになつたのでありませうが、これは文章道のために甚だ嘆かはしいことであります。西洋、殊に佛蘭西あたりでは、詩や小説の朗讀法が大いに研究されてゐまして、しば/\各種の朗讀會が催される、さうして古典ばかりでなく、現代の作家のものも常に試みられると云ふことでありますが、かくてこそ文章の健全なる發達を期することが出來ますので、彼の國の文藝の盛んなのも偶然でありません。それに反して、我が國に於いては現に朗讀法と云ふものがなく、又それを研究してゐる人を聞いたことがない。近頃大阪のJOBKから富田碎花氏が詩の朗讀を放送され、ついでJOAKからも古川緑波氏が漱石の「坊つちやん」の一簡を放送されましたので、ラヂオに依つて追ひ/\さう云ふ方面が開拓されるかも知れませんが、富田氏のやうな朗讀の名人は、宜しく各學校に招聘されて然るべく、國漢文の先生たちは一と通りその方の技能を備へてをられるやうにしたい。私が何故これを力説するかと申しますのに、たとひ音讀の習慣がすたれかけた今日に於いても、全然聲と云ふものを想像しないで讀むことは出來ない。人々は心の中で聲を出し、さうしてその聲を心の耳に聽きながら讀む。默讀とは云ふものゝ、結局は音讀してゐるのである。既に音讀してゐる以上は、何かしら抑揚頓挫やアクセントを附けて讀みます。然るに朗讀法と云ふものが一般に研究されてゐませんから、その抑揚頓挫やアクセントの附け方は、各人各樣、まち/\であります。それでは折角リズムに苦心をして作つた文章も、間違つた節で讀まれると云ふ恐れがあるので、私のやうに小説を職業とする者には、取り分け重大な問題であります。私はいつも、自分の書くものを讀者がどう云ふ抑揚を附けて讀んでくれるかと云ふことが氣になりますが、それと云ふのも、かう云ふ種類の文章はかう云ふ風な節で讀むと云ふ、大凡その基準が示されてゐないからであります。 一體、現代の人はちよつとした事柄を書くのにも、多量の漢字を濫用し過ぎる弊があります。これは明治になつてから急にいろ/\の熟語が殖え、和製の漢語が増加した結果でありまして、その弊害につきましては後段「用語について」の項で詳しく述べる筈でありますが、しかし此の弊害の由つて來たる今一つの原因は、昨今音讀の習慣がすたれ、文章の音樂的効果と云ふことが、忽諸に附されてゐる所に存すると思ひます。つまり、文章は「眼で理解する」ばかりでなく、「耳で押解する」ものでもあるのに、當世の若い人達は見て分るやうに書きさへすればよいと思つて、語呂とか音調とかに頓着せず、「何々的何々的」と云ふ風に無數に漢字を積み上げて行く。然るにわれ/\は、見ると同時に聽いて理解するのである。眼と耳とが共同して物を讀むのである。ですから餘り澤山の漢字を一遍に並べられると、耳は眼の速力に追ひ付けなくなり、字形と音《おん》とが別々になつて頭へ這人る、從つて内容を理解するのに手問が懸るのであります。されば皆さんは、文章を綴る場合に、先づその文句を實際に聲を出して暗誦し、それがすら/\と云へるかどうかを試してみることが必要でありまして、もしすら/\と云へないやうなら、讀者の頭に這入りにくい悪文であると極めてしまつても、間違ひはありません。現に私は青年時代から今日に至る迄、常にこれを實行してゐるのでありますが、かう云ふ點から考へましても、朗讀法と云ふものは疎かに出來ないのでありまして、もし皆さんに音讀の習慣がありましたら、蕪雜な漢語を無闇に羅列するやうなこともなくなるであらうと信ずるのであります。 それで思ひ出しますのは、昔は寺子屋で漢文の讀み方を教へることを、「素讀を授ける」と云ひました。素讀とは、講義をしないで唯音讀することであります。私の少年の頃にはまだ寺子屋式の塾があつて、小學校へ通ふ傍そこへ漢文を習ひに行きましたが、先生は机の上に本を開き、棒を持つて文字の上を指しながら、朗々と讀んで聽かせます。生徒はそれを熱心に聽いてゐて、先生が一段讀み終ると、今度は自分が聲を張り上げて讀む。滿足に讀めれば次へ進む。さう云ふ風にして外史や論語を教はつたのでありまして、意味の解釋は、尋ねれば答へてくれますが、普通は説明してくれません。ですが、古典の文章は大體音調が快く出來てゐますから、譯が分らないながらも文句が耳に殘り、自然とそれが唇に上つて來、少年が青年になり老年になる迄の問には、折に觸れ機に臨んで繰り返し思ひ出されますので、そのうちには意味が分って來るやうになります。古の諺に、「讀書百遍、意自ら通ず」と云ふのは此處のことであります。講義を聽いて分つたのは意味だけが分つたのでありまして、言外の味までが酌み取れたのではありませんから、その場限りで忘れてしまふことが多いのであります。たとへば大學にかう云ふ言葉があります。 詩云。緡蠻黄鳥止2于丘隅1。子日於v止知2其所1v止。可2以v人而不v如v鳥乎。 これは「詩ニ云ク、緡蠻《めんばん》タル黄鳥《くわうてう》丘隅ニ止《とゞ》マルト。子|曰《のたまは》ク止マルニ於イテ其ノ止マル所ヲ知ル、人ヲ以テ鳥ニ如カザル可ケン乎」と讀むのでありまして、大學を習つた者なら誰でも覺えてゐる有名な文句でありますが、その癖その意味を現代語に譯してみよと云はれれば、漢學者でない限り、普通の者には一寸出來ません。が、それにも拘らず、われ/\は漠然と分つたやうな氣がしてゐる。「緡蠻タル黄鳥」の緡蠻と云ふ文字も、字引を引いてみなければ本當のことは分りませんが、それでも一羽の鶯が丘の上の樹の枝に止まつて美しい聲で啼いてゐることだらうと、いつからともなく獨りぎめにきめてしまつてゐる。詩歌や俳句にはさう云ふ例が多いのでありまして、自分では分つた積りでゐるものですから、一度も疑ひを挾んだことはありませんけれども、さて説明せよと云はれゝば出來ない。しかし、この漠然たる分り方が、實は本嘗なのかも知れません。なぜなら、原文の言葉を他の言葉に云ひ變へますと、意味がはつきりするやうではありますけれども、大概の場合、或る一部分の意味だけしか傳はらない。「緡蠻タル黄鳥」はたゞ「緡蠻タル黄鳥」でありまして、他の如何なる文字や言葉を持つて來ても、原文が含んでゐる深さと幅と韻《ひゞき》とを云ひ盡すことは出來ない。ですから、「分ってゐるなら現代語に譯せる」と云へる筈のものではないので、さう簡單に考へる人こそ分つてゐない證據であります。さうしてみると、講釋をせずに素讀だけを授ける寺子屋式の教授法が、眞の理解力を與へるのに最も適した方法であるかも知れません。 斯く申しましたならば、「分らせるやうに」書くことと「記憶させるやうに」書くことゝは、二にして一であることがお分りになつたでありませう。即ち眞に「分らせるやうに」書くためには「記憶させるやうに」書くことが必要なのであります。云ひ換へれば、字面の美と音調の美とは單に讀者の記憶を助けるのみでなく、實は理解を補ふのである。此の二條件を備へてゐなければ、意味が完全には傳はらないのである。現にわれ/\が上に引用した大學の一節を記憶してゐるのは何故でありませうか。云ふ迄もなく「緡蠻」と云ふ特異な字面とその文章全體の音調のためでありまして、これあるが故に此の句は長く記憶され、たび/\思ひ出され、その結果最初は漠然と、それから次第に明瞭に、本當の意味を會得するやうになるのであります。 前に擧げた太平記の一節などもさうでありまして、ああ云ふ現代に通用しないものを今も私が覺えてゐるのは、全く字面と音調のためであります。さうして、「一徑涙盡きて愁未盡きず」とか、「鼎湖の雲を瞻望して」とか、「別れを夢裏の花に慕ふ」とか云ふやうな文句も、記憶されてゐる限りはいつかその意味を悟る日が來る。要するに、言葉を多く使ひ過ぎるのは返す返すも間違でありまして、言葉の不完全なところを字面や音調で補つてこそ、立派な文章と云へるのであります。 字面と音調、これを私は文章の感覺的要素と呼びますが、これが備はつてゐない現代の口語文は、文章として不具の發達を途げたものでありまして、祝辭や弔辭等に今も和漢混交交が用ひられると云ふ事實は、口語文が朗讀に適しないことを雄辯に物語つてゐるのであります、然るに古典の文章は此の感覺的要素を多分に備へてゐるのでありますから、われ/\は大いに古典を研究して、その長所を學ばなければなりません。又和歌や俳句等も、此の意味に於いて非常に參考になるのであります。もと/\韻文と云ふものは字面と音調とに依つて生きてゐるのでありますから、これこそ國文の粹とも申すべきもので、散文を作る上にもその精神を取り入れることが肝要であります。 現代文に於いても、感覺的要素が如何に大切な役割を果たしてゐるかと云ふことを知るために、皆さんはもう一度第○○ペーヂを開いて志賀直哉氏の「城の崎にて」の文章を吟味して御覽なさい。あの中の「其處で」「丁度」「或朝の事」「一つ所」「如何にも」「仕舞つた」「然し」等の字面を、それ/゛\「そこで」「ちやうど」「或る朝のこと」「一つところ」「いかにも」「しまつた」「しかし」と云ふ風に書き變へたとしたならば、もうそれだけであの文章のカツキリとした、印象の鮮明な感じが減殺されるでありませう。これらは多く作者の筆癖で、無意識のうちに使つてゐるのでありませうが、しかし此の作者は決して字面に無頓着でない。かう云ふ引き締まつた文章には此の程度に漢字を交へ、假名を減らすのが有効であることを、承知してゐるのである。些細なことでありますが、「直ぐ細長い羽根を兩方ヘシツカリと張つてぶーんと飛び立つ。」の所で、「シツカリ」を片假名、「ぶーん」を平假名にしてゐるのも頷《うなづ》ける。此の場合、私が書いてもきつとかう書く。殊に「ぶーん」を「ブーン」と書いたのでは、「虎斑の大きな肥つた蜂」が空氣を震動させながら飛んで行く羽音の感じが出ない。又「ぶうん」でもいけない、「ぶーん」でなけれぱ眞直ぐに飛んで行く樣子が見えない。次に此の文章の終りの方を讀んでみますと、 それが又如何にも死んだものといふ感じを與へるのだ。それは三日程その儘になつてゐた。それは見てゐて如何にも靜かな感じを與へた。淋しかつた。他の蜂が皆集に人つて仕舞つた日暮、冷たい瓦の上に一つ殘つた死骸を見る事は淋しかつた、然しそれは如何にも靜かだつた。 とありまして、一語々々は別に何でもありませんが、「それが」「それは」「それは」と三度疊んで來て、「淋しかつた。」と云ふ句を二度重ね、更に又「然しそれは如何にも靜かだつた。」と結んであり、「與へるのだ」「なつてゐた」「かつた」「だつた」と、た止めのセンテンスのみを重ねてありますので、此の文章全體に一種の緊張した調子が出てゐる。「感じを與へる」「如何にも靜か」と云ふ句も二度繰り返し使つてある。即ち作者は、淋しい心境を説明するのに唯「淋しい」と云つてゐるだけで何等くど/\と餘計な言葉は費してゐない。さうして調子と繰り返しを以て、それをはつきり讀者の胸に傳へてゐるのであります。作者の如きは最も寫實的な傾向の人でありまして、その文章も專ら達意を主としてゐるのでありますが、而も「意を達する」がためには此れだけの用意が必要であることが知れるのであります。ですから、感覺的要素なるものは決して贅澤や虚飾の具ではありません。素朴な實用文に於いても、これを閑却しては屡〻用が足せないことが起るのであります。 尚又、別に古典文の一種として書簡文體と云ふものがあります。これは和文調とも漢文調とも云へない變態な文章、所謂|候文《さふらふぶん》のことでありまして、これも追ひ追ひすたれてしまふ運命にあるのでありませうが、まだ現在では諸官省を始め、懷古趣味の老人などの間に通信用として用ひられてゐます。ところで私はあの文體の大《おほ》まかな云ひ廻しが、矢張口語文を作るのに參考になると思ふのであります。と云ふのは、試みに今の若い人達に候文を書かせてみますと、滿足に書ける者は殆ど一人もゐない。文句の間へ「候」を挾むことだけは知ってゐるが、それが無理に取つて附けたやうで、ぴつたり格に篏まらない。なぜ篏まらないかと云ふと、昔の候文は一つのセンテンスと次のセンテンスとの間に相當の間隙がある、前に云つたことゝ後に云つたことゝが必ずしも論理的に繋がつてゐず、その間に意味の切れ目がある、そこが大いに餘情があつて面白いのでありますが、今の人にはそれが分らないので、「候て」とか「候が」とか「候ひしが」とか云ふ風にして、意味の繋がりを附け、間隙を填《うづ》めようとするからであります。然るに此の間隙が、美しい日本文を作るのには大切な要素でありまして、口語文には最もそれが缺けてをります。故にわれ/\は、候文は書かない迄も、候文のコツを學ぶことは必要であります。 つづき
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その1 「テレサとやら、面白い事を言うな」 「え?何て言ったの?」 「まだ死ねないのだと」 「無理無理、絶対無理。」 「テレサさん、クレイモアを裏切るということはナンバーズに狙われるという事ですよ」 「それくらいわかってるさ・・・」 「やってみるがいい、だがお前に出来るかな?」 EPISODE 7 死者の × 烙印 クレアの心を解き放て・・・ その2 「テレサ、いよいよ最終決戦だな!」 「言っておくが手加減はしないぞ・・・」 「本当に、戦うしかないの・・・?」 「仕方ありませんね・・・」 「誰か!ナンバー3の音速剣を止めて!」 「え?レイプ?誰が・・・」 「クレア、が・・・」 「話がある、クレアちょっとあっちの物陰にきてくれ」 EPISODE 8 微笑 × チョンパ プリシアのトラウマを解き放て・・ その3 「テレサ、いよいよ最終決戦だな!」 「言っておくが手加減はしないぞ・・・」 「本当に、戦うの・・・?」 「仕方ありませんね・・・」 「誰か!五人を止めて!」 「え?嘆き?誰が・・・」 「ラキ、が・・・」 「みんな、いい加減カイソウから戻ってきてくれ」 EPISODE 8 覚 × 醒 ラキの空気を解き放て・・・ その4 「かつてテレサという名前の女性がいた。 女性は半人半妖の戦士クレイモアの一員として 大剣と共に世界を妖魔から救った・・・」 「英雄だな。で、今ソイツはどこにいるんだ?」 「どこにも、居ない」 「・・・って、死んだのか?」 「綺麗な顔だろ・・・」 EPISODE 9 切り裂く × もの達I プリシラの妖力を解き放て・・・ その5 「無事だったか!クレア!」 「早速だがラキ・・・お前に預かってもらいたい物がある」 「な、何?」 「金だ・・・」 「3つでいいよ・・・」 「敵襲です!男の覚醒者が襲ってきました!」 「1週間で戻る」 「ま、待ってよ!また出番無しかよ!」 EPISODE 10 切り裂く × 者たちII クレアのNoを解き放てっ(エコー)・・・ その6 「ぜ、絶対絶望だな、47番・・・」 「この程度でか・・・?」 「最下位だなんて馬鹿にして、怒ってない?」 「怒ってねーよ、それよりお前に話しとかなきゃらない事がある」 「え?それってもしかして・・・」 「そうだ、この任務の事だ。・・・実は」 EPISODE 11 切り裂く × 者達Ⅲ 異常性欲者の妖気を解き放てっ(エコー)・・・ その7 「デネブ!無茶はやめろ!」 「実験、だ・・・ヘレン・・・」 「ちょっと、ちょっとアンタは大人しく眠ってなさい、今はアタシなんだからっ・・・」 「覚醒しかけているわ・・・」 「どうしよう・・・クレア?」 「ためらわず殺せ!」 「同期のよしみだ!私も手伝うぜ!」 「おう!皆で頑張ろうぜ!」 EPISODE 11 果て無き × 墓標I 覚醒の恍惚を解き放てっ(エコー)・・・ その8 「これは・・・!」 「No.4のオフィーリアのマーク!」 「ラキのへぼ剣士の力を利用してクレアをおちょくろうっていうんだな!止めなきゃ!だが、どうやれば!」 「逃げろ」 「でも、覚醒者は・・・!?」 「構わん、逃げろ!」 「大変!覚醒者があっという間に・・・!」 「どうすりゃいいんだ!」 「・・・逃げろ、それしか方法は無い!」 EPISODE 13 果て無き × 墓標Ⅱ ラキの出番を解き放てっ(エコー)・・・ その9 「まさかイレーネが生きていたとはなぁ」 「私だって驚いたよ!」 「とにかく!これで高速剣が習得できるわけだ」 「覚醒者オフィーリア・・・!こいつを倒せば!」 「長かった私の逃避行に終止符が打たれる!」 「やるしかないな!!」 「ああ!」 「いくぜえええええぇぇぇぇっぇ!」 EPISODE 14 戦う × 資格 心の内臓を解き放てっ(エコー)・・・
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2 :いうおいおrうぃじょf ◆EhHbCq6J3. :2009/03/23(月) 23 57 44 ID RnpNmJlz0 コテのスペックとか 名前:いうおいおrうぃじょf ◆EhHbCq6J3 学歴:京大非医学部卒業→2009年度東京大学教養学部理科三類入学 本格的な受験勉強を始めた時期:6月頃 受験期の生活:週四で某所でバイト(月約10万) 予備校or宅浪:宅浪 現役時の成績:駿台全国模試総合偏差値72,3(理ⅠA判定だった気がする) スタート時の成績:駿台全国模試総合偏差値75(理ⅢB判定) 科目別最高偏差値:東工大実戦数学91.4 東大模試成績:実戦(C,B)、即応(A) センター自己採点:英190リ46数(ⅠA100ⅡB84)国(論40小38古25漢50計153) 化100物91倫82計800/900(リスニング含めて846/950) 二次本番自己採点:英95数70国42物52化40計299 3 :いうおいおrうぃじょf ◆EhHbCq6J3. :2009/03/23(月) 23 58 25 ID RnpNmJlz0 科目別勉強法 英語:最初の三ヶ月くらいは思考訓練の場としての英文解釈をずっとやってた。 ノートに英文書いて全訳を自分なりにその下にどんどん書いた。たまに要約も してた。分からない単語や熟語はその都度覚えて最後におさらい等をしてた。 文法は東進で出てるレベル別の最高レベルの6をやった。初見では8割くらいできてた。 後はできなかったところは2,3週くらいやったかな。長文は同じく東進のレベル別の 6をやってた。平均八割くらい。これは全体的にほぼ理解できてたから1週で終わった。 リスニング対策はネットで配信してるニュースを適当に。後は過去問をやった それで本番は24点だった。11月頃に25ヵ年をやり始めた。それ以降はセンター対策を はさんでそれしかやらなかった。ちなみにセンター対策は過去問だけ。リスニングは 二次対策で十分。センターのリスニングは二次に比べればウンコ。 数学:基本的にウンコしてるときとか飯食ってるときは数学の問題考えてた気がする。 スタート時にはハイレベル理系数学をやってた。初見で八割くらいできてたが 後はできなかったところを二週くらいしてた。その中の問題を改作しては自分で解いたり 2chで投下したり。これ結構勉強になった気がする。東大模試一ヶ月くらい前は 模試過去問(青と紫)やってた。後は新数学演習とマスターオブ整数を全部つぶしてたかな。 新数演は八割がたできてたがマスターオブ整数は終わりきらなかった。11月くらいで 25ヵ年やり始めてそれ以降ずっと本番までやってた。センター対策は直前に過去問のみ。 基本姿勢として常に別解を考えてたかな。いつも思いつくとは限らなかったがこれまた いい練習になった。 4 :いうおいおrうぃじょf ◆EhHbCq6J3. :2009/03/23(月) 23 59 49 ID RnpNmJlz0 国語:一番苦労した科目。独学だったから添削してくれる人がいなくて困ってた。 そもそも苦手だったから参考になるか分からんが。現代文は最初河合の現代文と格闘するを2週、 後はマーク式基礎問題集やらでセンター型の勉強をやってた。記述はひたすら自分の言葉で 書いて頑張ってた。後得点ダッシュは合格答案や採点基準が明確だったから先生がいなかった 俺にとってはとても助かった。古文は565で単語を、得点ダッシュで記述対策。特に変わったこと はしてなかった。漢文は最初早覚え速答法を5週くらいした。これで基礎は身についた気がする。 後はマーク式基礎問題集でセンター対策して東進の記述対策問題集と得点ダッシュで記述対策をした。 これでセンターは満点、二次は15点くらい取れた気がする。やっぱり漢文が一番とっつきやすかった 公民(倫理):かわったことはしてない。面白いほどを読みながら過去問をひたすらやってた。 2,3週くらいしたかな。用語集は使わなかった。使ってたら点が上がっていたかといえばよく分からない。 5 :いうおいおrうぃじょf ◆EhHbCq6J3. :2009/03/24(火) 00 00 46 ID RnpNmJlz0 物理:最初の三ヶ月くらいは難系を二週。後は東大模試一ヶ月前に模試問(青と紫) そして理論物理への道標上下を2週。11月くらいから25ヵ年やり始めてそれ以降本番まで やってた。センター対策は直前に過去問で十分な気がする。物理はとにかく基本原理が 大事で式の適用の仕方にかなり気をつけた。納得するために例えば力学では運動方程式 を立ててそこからエネルギー保存則を導いてた。実践的には微分積分は使わないほうが いいが本質を理解するには不可欠だとは思うから自力で導いてみるのはいい練習になるはず。 言うまでもないが力学は絶対に完璧にしておくべきだな。電磁気学にも結びつくから。 波動は式で理解することと図で理解すること両方同時にやるとすっきりできると思う。 ドップラー効果とかは2通りくらいの方法で導けるようにしておくと便利なんじゃね。 熱力学は熱力学第一法則、気体の状態方程式、力のつりあいの式で殆ど解けるから是非 得点源に。やらない奴はもったいない。あと(1+x)^n≒1+nx等の近似法計算は早いうち から慣れておいたほうがいい。後次元チェックを忘れずに。 化学:最初は新研究を辞書代わりに化学ⅠⅡの新演習と100選を2,3週くらい。初見では八割程度 か。思考訓練の場としての体系化学とか言うのもやったがアレは初学者向け。誤字が多い。 東大模試一ヶ月前は模試問(青と紫)。11月くらいから25ヵ年やり始めてそれ以降本番まで同じ。 センターは物理と同様に直前に過去問で十分。全部の教科にいえることだがセンター対策は 絶対にしたほうがいい。後で本当に泣くから。物理でもそうだが数じゃなくて単位に注目した ほうがいい。あと質量ではなく物質量(mol)で考えるように。気体の状態方程式を状況に応じて 使いこなせるように(温度、圧力、密閉系などを絶対に見逃さないように)なるといい気がする。 特に東大化学は気体の難問がよく出るし。無機の知識は早いうちから完璧にしておいたな。 主に新研究とか100選とかで。後東大有機は細かい実験知識と初見の反応とかに対応するために 新研究を活用すべし。あと解く順番だが俺は全教科順番にやってた。そういうのあんまり 関係ない気がするんだわ。
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VIP prep school VIP予備学校へようこそ。でも、厳密にはこれじゃぁ、VIP大学進学予科学校なんだけどね。そんなに細かい事は気にしない。~ 講師募集中。 あと、まぁ、科目ごとにページ作って勝手に編集してって。 設立理念 まぁ、大学受験を頑張ろうというVIPPERを応援することが我が校の目的です。 コンテンツ作成方針 科目別・講師別でお願いします できればメイン参考書を指定してください カリキュラムというか進度目標を具体的に示してあげてください できれば、質問のアーカイブとか作ってもらえたら嬉しいです。 あとtexと同様に数式が記述できます。 科目一覧 全体的学習方針 推薦参考書一覧 英語 数学 国語現代文 古文 漢文 理科物理 化学 生物 地歴 公民 リンク集 使えそうな情報の載ってるサイトを簡単に紹介しておきます。 河合塾解答速報 センターや二次試験の過去問・回答あり。 http //hiw.oo.kawai-juku.ac.jp/nyushi/ こっから下はデフォのまま。 @wikiへようこそ ウィキはみんなで気軽にホームページ編集できるツールです。 このページは自由に編集することができます。 メールで送られてきたパスワードを用いてログインすることで、各種変更(サイト名、トップページ、メンバー管理、サイドページ、デザイン、ページ管理、等)することができます まずはこちらをご覧ください。 @wikiの基本操作 用途別のオススメ機能紹介 @wikiの設定/管理 おすすめ機能 気になるニュースをチェック 関連するブログ一覧を表示 その他にもいろいろな機能満載!! @wikiプラグイン @wiki便利ツール @wiki構文 バグ・不具合を見つけたら? お手数ですが、こちらからご連絡宜しくお願いいたします。 ⇒http //atwiki.jp/guide/contact.html 分からないことは? @wiki ご利用ガイド よくある質問 @wikiへお問い合わせ 等をご活用ください